豊島区には、未来の希望がある

新しい元号が発表になりました。「令和」だそうです。平成から新しい時代に入り、ますます困難な状況が広がっていく懸念もあります。しかしだからこそ、豊島区に暮らす人々の中から、希望を見出し、未来へとつなげたいと考えます。

これまで政治の世界と無縁だった私が、どうして現在のような活動をすることになったのかは「理念・私の決意」に記した通りです。

私が暮らしている豊島区では、様々な支え合いの活動―引きこもりの若者支援や長期化したホームレス状態からアパート住まいに移行された方々に対する訪問看護、地域の大人と子どもたちが、食卓を一緒に囲むことで顔の見える関係を作り、困った時には「助けて!」と言える「ななめの関係」をつくるこども食堂など――をしている人々がいます。

作家で活動家の雨宮処凛さんは「行き倒れするなら豊島区(特に池袋から要町界隈)で(笑)」と半分冗談、半分本気でおっしゃっていました。それは「この地域でなら困っている人は誰かが助けてくれる。住民の方々にはそんな心の土壌がある」という意味なのです。

地縁・血縁の強い地域ならばともかく、日本の都会生活において、地域のコミュニティのなかに入っていくことも、それを新たにつくることも簡単ではありません。お子さんをおもちの方であれば、子どもの友だちのお母さん同士という付き合いから輪が広がっていく機会があります。地元の商店街の方々であれば、商工会でのつながりといったものがあるでしょう。ところが、お子さんのいない方、サラリーマンで自宅から都心に毎日通勤されている方などにとっては、地元の方々との接点をもつ機会が少なくなるのです。

かくいう私は子どもがおらず、以前は横浜市のマンションと都心の事務所を往復する毎日でした。憲法や社会問題を扱うオルタナティブメディアの運営やコンテンツ制作をし、情報発信をする一方、地域コミュニティのつながりが持てないことに、これでいいのかとジレンマを抱えていたことは、「理念・私の決意」で書いたとおりです。

ところが、子どもがいなくても、日々忙しく働いていた私でも、ここ豊島区では居場所や役割があると感じられるのは、上述のような「ここに住む人を孤立させない」ための活動を、日々行っている人たちとの出会いが大きかったと思っています。

高度経済成長時代は地方から東京へ大きく人口が移動し、人々は都会で核家族を形成していきました。サラリーマンの父親と専業主婦の母に子どもが2人というのが典型的な家族像でしたが、時代を経て、いまでは単身者世帯が増え、郊外のニュータウンでは子どもたちが家を出ていってしまい、地域がどんどん高齢化していくところが少なくありません。

個々がばらばらになり、心の寄りどころを失っている人々が増えていくと、ますます日々の暮らしがないがしろにするような政治が進む。そんな危険性も感じています。

だからこそ「地べた」に近いところから「ボトムアップ」で始めたいというのが私の率直な思いです。

上述のような「かけがえのない一人ひとりの豊かで平和で自由なくらし」のため、「孤立しない、させない」ための、活動をされている人が豊島区にはたくさんいらっしゃいますが、互いの連携をもっと強めたい。各拠点同士が結びつき、点と点が線でつながり、線と線がむすびつくことで、面になる。そうすれば豊島区はもっと住みよいまちになる。私はそう確信しています。

また深刻な孤立社会、少子高齢化が進む日本において、豊島区にこそ、未来の希望がある。そして、それは日本が直面する課題を解決するためのモデルになると、大げさでなく私は考えています。

その時の主役は、地域で暮らすひとり一人の区民です。つながって一緒に、豊島区の未来を育てていく。その一員に私もなりたいと考えています。

今朝は雑司が谷駅近辺で、街宣を行いました。